買い替える。
以前少し触れたけれど、クルマ買い替えることに決めた。今乗ってるクルマには何の不満もないけれど今度買うクルマが人生最後のものとなると決めているのでそれなら今しかないか、と。
こういう決断も独り身の気楽さかもね。
今日ディーラーさんから11/4以降なら納車できるって連絡があった。
思ってたより早い。たぶん先方セールス氏、月内に販売の数字を乗せたかったんだろうな...
で、平日は無理だから納車は日曜日、11/7にした。
さっきも書いた通り、クルマを買うのもこれで最後。10年くらい乗るとして63。そこで免許も返納しようかなって思ってる。クルマも安全とか環境とかを考える時代になって自動運転の世の中になっていくのだろう。
でもそんなクルマには乗りたくない。
かと言って高齢になって路上で足手まといのドライバーになるのは嫌だからそうなるとハンドル握るのを止めるほかない。必要ならバスでもタクシーでも電車でも乗ればいい。クルマ持ってればカネもかかるしな。そう遠くない将来はそうやって過ごそうと思ってる。
人生なんてあっという間。今のうちに乗りたいと思うクルマに乗っておこう。おおまかな人生の設計図を立ててそれに従って生きていこうと思う。
大人の振る舞い
50を過ぎてから、頭に来ることがあっても割と冷静でいられるようになった。
「島耕作」シリーズでおなじみの弘兼憲史さんの本の中で
「50を過ぎたら何かあったら”まあいいか””それがどうした””人それぞれ”を胸
でつぶやけ」
というようなことが書いてあった。
頭に来ることがあったらぐっとこの言葉を飲み込んでやり過ごせば気が収まることが
多いことに気付いた。
自分より年上の方、つまりご高齢の方の中にはその時の感情に任せて怒りを露わにす
る方も少なくない。
顔を真っ赤にしてね。
そういう人を傍目に見ていると格好いいものではない。
ああなってはいけないな、と反面教師にして見ている。
逆にどんな時でも表情を変えず温厚な人は大人として余裕を感じる。
やっぱりこうした大人でありたいなと思う。
感情に任せて怒るということは自分は気が済むかも知れない。
けれど怒りをぶつけられた相手はどうだろう。それを見ている人はどうだろう。
そこまできちんと考えられる大人が真の大人なのだろうと思う。
最近、そんなことがあったけれどぐっとこらえてやり過ごせて良かったと思うことが
あった。
「大人げない」という言葉があるけどその通り。
まあいいか。
それがどうした。
人それぞれ。
その言葉を胸にしてこれからも生きていこうと思う。
選挙が始まりますね。
衆議院選挙が始まる。
しかし政党名を見ただけでもどうしたものかなと思う政党もある。
例えば国営放送局を糾弾するあの政党。
倒置法のできそこないのような消化不良な名前はなんとかして欲しいな。
それと「維新」とか「新選組」とかの政党名。
昔、命を懸けて戦った人に失礼だよね。
はっきり言ってやめてほしい。
しかしまあ政権を取ることだけが目標の野党第一党。党首も目がイッちゃってるね。勝てるわけない。党首もさ、顔って大事だよね。だいたい、議員の人って人相の悪い人が多いけどどっかの党首は放送禁止レベル。ポスター貼らないでもらいたい。
結局こんな人ばっかりなんで大きな変化はないんだろうなあ。与党が強いんじゃなくて野党がだらしないだけ。もっと与党を脅かすくらいの力がないとね。理想論なら誰でも言える。それでは。